ミルコの趣味雑談

趣味を持つ事は大事です。始め方や、道具を揃えることなど雑談です。

格闘技と武道と趣味vol2~展開~

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《格闘家としての安定した日々》

福岡に落ち着き、少林寺拳法の道場に通い、仕事も順調、結婚もして日々が充実していた。この師事する先生(S先生)との仲は良好で、仲人にもなって貰った。この道場で創立15周年・20周年記念大会を企画・主催したり、5段を取得したりと、とても拳法家としては成長著しい時期だった。S先生とは5歳違いであったが、まるで一回りは違う程の精神的差を感じていたし、指導者としては理想像と思っていた。

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S先生が少林寺拳法に留まっていた理由は、兄弟子の福岡県下の少林寺拳法を束ていた、N先生がいたからで、N先生は全日本学生少林寺拳法連盟委員長も経験した熱血漢だった。

合宿で数度会ったが、S先生に負けず劣らず眼光鋭く、政治家タイプの方で、年配でもあり、技量で率いると言うより、人間性で人をまとめるタイプの方であった。また、健康食品や漢方薬販売会社の経営者でもあり、自社ビルを持つまでになり、成功していた。

一度大宰府近くの自社ビルに行ったことがあったが、ビルの壁面に少林寺拳法の看板と共に、2mもある二羽の荒鷲のオブジェが、懸架しており、威圧された。

こんな二人だから、一心同体の様な間柄なのはすぐ理解できた。従業員も門下生で、非常にまとまりの良いN先生グループ道院だった。この様な方だから、少林寺拳法に対する思い入れも強く、ちょくちょく本部と衝突していた。ある意味本部にとっては圧力団体だったと思う。

少林寺拳法との変化》

少林寺拳法の師家である宗道臣が心臓の病で亡くなり、1980年に娘が継ぐことになった。(宗教法人なので、血縁実子が継ぐ決まりになっていたと聞くが、実は前妻との間に長男がいて埼玉で道場を開いているとも聞き、その一派と揉めたと言う噂もあった)

既に百万の門人を持つ武道に成長し、メジャー武道を目指す志向が決定的となり、少林寺拳法はこの娘を表看板にソフト路線を走る事になった。より一層格闘技としての側面を弱め、さらに武道と言うより、”スポーツ”を前面に押し出すことになった。

これにより、N先生グループとか古参の高弟や、武道としての側面を求める者たちは、地方でも独特な道場運用をしていた。先に話した亜種の「少林拳」も、本道からスピンアウトした者が門下生を引き連れて独立したものだった。

少林寺拳法の教え》

少林寺拳法の教えには教範と言われる”聖書”がある。その中には、論語、中国故事などから良い取りと少林寺拳法成立秘話や、開祖宗道臣の生きざまが書かれていて、門下生はこれをベースに学び、昇段試験のテキストでもあった。

少林寺拳法はこういう活動に積極的で、本山合宿でも思想教育を高弟たちが講義し、プロモーションビデオ等も盛んに作られていた。その教えの中には、宗教観と言うより、人生訓としての教えが多く、共感するものが多々あった。

例えば、「守・破・離」と言う指導がある。つまり、まずは教えられる技を、しっかりその通りに「守って」覚える。できる様になって、使えう様になったら、それを自分に合った形に「破り」自分流の技にする。そして、それをベースに工夫を重ねて「離れて」ゆき、創造的な技を作ってゆく。これは、何事に関しても全てに通じる事でとても良い言葉だと今でも思っている。

 《少林寺拳法との離別》

福岡でも大きな波が来ていた。少林寺拳法本部も地方で活躍する高弟たちを抑えきれなくなってきていた。有力な高弟達が本来武道としてあるべき、少林寺拳法の強さが後退する事と、中央本部の押しつけの圧力に反旗を翻し始めたのだ(多分上納金に関わるトラブルもあったと思う)。

当初は、ソフト路線への反発として、本来あるべき姿に戻そうと本部幹部の更迭を求めた様だが、結局二代目師家の方針で逆に、強硬派が破門される方向に舵が切られた。

 

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少林寺拳法の変質》

破門の中には、福岡のN先生の道院も含まれていた。門下生が動揺しない訳が無かったし、独立するにしても「少林寺拳法」の看板はもう使えない。独立するにしても、収入ベースである年少の門下生父兄に説明して理解されるか、また兄弟道院まで破門される訳では無かったので、それらブランドを捨てて付いて来るかは甚だ疑問だった。

想定通り、S先生はN先生と行動を共にすることとなった。しかしグループ内では2割ほどは離脱した。経営者として「少林寺拳法」の金看板は大きい。武道家としての実力や魅力で門下生からの信望に自信のない道院長は、看板を選んだのだ。

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今は総合格闘技が市民権を得た

《格闘技への原点回帰》

S先生にも迷いがあったと思うが、そもそも、格闘技家として卓越した技量を持っていた方なので、ある意味重しが外れた様なもので、N先生と連座して破門を甘受した。自分の武道を目指す事への道筋ができた事で、早速、総合格闘技の看板を挙げた。

今までの門下生もそのまま残る事になり、そこはやはり実力者だと感心した。ただ、今までの練習のマニュアルや、ロゴ、大会参加等は出来ないので、体制作りに暫く謀殺された。新たなロゴ、道着、練習科目整理等だが、コンテンツとなる技の中身については、S先生の頭の中に既に整理され、理論的化されていたのでとても楽だった。

N先生グループとしては、新たな武道と言っても、創設できる技術体系を持たないため、器になりうる格闘技を探した。そこで出てきたのは当時オリンピック競技にすべく韓国が力をいれていたテコンドーだった。

《技の原理と本来の格闘技の姿》

今まで少林寺拳法で教えていた、例えば、「小手投げ」と言う技があるが、自分の右手を、相手が右手で手首を握ってくると言う想定で掛ける技だ。

結構初歩的で効果的な技ではあるが、相手が握ってくると言う”お約束”が前提でなければ使えない技だった。しかし、S先生はその”お約束”に幅を持たせてより実践的な形に昇華した。

それはまさしく「離」の世界で、相手が右手ストレートで打って来ても、胸ぐら、左袖を握りに来ても、その手を小手投げの原理を応用して投げたり、崩すことができる技に昇華したのだ。やはり天才だと感じた。

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小手投げ

《本質を見抜く力》

習い事はすべからく、カタチから入るのが良いと思う。しかし、いくら形を真似ても、変化があると対応できないものでは意味が無いと言うのが、格闘技の本質である。相手の動きをシュミレーションしての対応する練習は必要であるが、定型化した時点で、本末転倒である事を理解しなければならない。相手は変化する、それに対して、原理に基づいて応用して技を出せる事が本質であり、それを自分なりの理解と表現で相手への伝えるところに「離」があるのだ。

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《地頭が良い》

これはコミュニケーションでも同じ事で、表現はどあれ、本質的に伝えたいと思っていることを見抜く、感じる事が重要で、それに対して、どう対応するのか、どう表現することができる人が”賢い人”であり、”地頭の良い人”だと思う。

《その後の少林寺拳法

その後離れてしまってここ20年どうなったか知らなかったが、今年になってスポーツ報知でこんな記事が出ていた。時代は変わったと実感した。

少林寺拳法のトップが40年ぶり交代…宗由貴代表から次男の昂馬氏へ師家継承

宗由貴代表は、少林寺拳法創始者である開祖・宗道臣(どうしん)氏の長女で、1980年5月に父・道臣氏が69歳で急死したことを受け、22歳で師家を継承。以来、武道団体としては異例の女性のトップとして、父の33年を超える40年にわたって、流派のない世界でひとつの統一組織を率いてきた。

 少林寺拳法グループは、金剛禅総本山少林寺、財団法人少林寺拳法連盟禅林学園少林寺拳法世界連合、SHORINJI KEMPO UNITYの5つの組織を有し、世界40か国にのべ180万人の拳士が登録している。少林寺拳法連盟は、日本体育協会日本武道協議会(柔道、剣道、弓道、相撲、空手道など10団体)に加盟している文科省公認の団体だ。

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