ミルコの趣味雑談

趣味を持つ事は大事です。始め方や、道具を揃えることなど雑談です。

格闘技と武道と趣味vol8~目指す武道とは~

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《年齢の応じた修行とは》 

少林寺拳法がスポーツライクになり、テコンドーが競技性を高めるために武道性が薄れ真の武道を目指すためのイメージが必要である。最初から”強さ”を目指さないのは格闘技ではない。

S先生ともその具体的イメージを共有するためのディスカッションを良くした。このS先生も変わった人で、実際に指導する時の技の威力や鋭さは既に述べたが、自身がトレーニングをしているを、道場で見る事が無かった。皆道場でトレーニングに励み、反復練習などして技や、動きを覚えるのに、なぜS先生は練習しないか。

これは本人に聞いてもはぐらかされるだけで、どうも真相が判らなかった。

S先生のお宅にはよく通ったが、ある日奥さんに普段の先生の事を尋ねたことがあったが、「いつも姿鏡の前で、体をひねったり、長く中腰でいたり、奇妙な動きをしている」と笑いながら言われた。

その時、あっそうかと、理解できた。つまり、既に激しいトレーニングや練習で鍛える時期を超えて、太極拳の動きの様に、イメージトレーニングとアイソメトリックストレーニング(静的筋力トレーニング)をしているんだと判った。年齢を重ねる事で、そのトレーニングの方法を変えていたのだ。

《生涯武道とは》

選手年齢を超え、中高齢の方は、審判や型の指導等をすることで、経験年数を重ね深みを増す事ができるし、長くその武道団体と携わって行くのも良いと思う。

兄弟弟子や初心者指導も重要な役割だ。しかし、それが生涯武道では無いと感じていた。飽くまでも自分が実践する生涯を通じて実践できる武道があるはずと思っていた。

《強さをどうやって表現するのか》

以前”強い”とはどういう事か書いたが、耐力や持久力、筋力、瞬発力等は必ず落ちる。但し、基礎的な体力を維持することで、ある程度は維持できる。

それは節制であり、日々の健康増進、トレーニングであるが、これも年齢によって内容を変えながら、オーバーワークにならない様にして、武道ができる体を維持し、生涯を通じて武道を続けられることを重視したいと思った。

これは、まだ人生を半分も終わってない段階で、これを目指すのは結構切ない話だ。なぜなら、10年後20年後の体力か環境が判らないのだから、生涯続ける武道と言う答えは無く、人それぞれがそうしたいと思うところに”生涯の武道”の姿がある。

但し、これは”強さ”とは違う。その年齢、体力でどう対応して行くかの判断ができる様に、自身の体をコントロールしている事が修行・鍛錬の肝だと思う。

《年に関係なくできる武道》

よく剣道の高段者が、年老いて腰が曲がっていても、竹刀を持つと背筋が伸び、しっかりとした足取りで、しかり剣をふるう事ができる。

これが武道のあるべき姿ではないかと思えてしまう。そこで見つけたのが、これにとても近い徒手武道である太気拳だった。

これはルーツを中国の大成拳(意拳)に持つ拳聖と言われた澤井 健一先生の始められた生涯武道である。極真空手創始者大山倍達や柔道のヘーシングにも多大な影響を与えた方で、その姿をYOUTUBEで見ることができる。

無駄が削がれ、非常に少ない動きで最大限の威力を発揮し相手を制する言わば、”枯れた”究極の武道形である。

目指す武道はここにあった。S先生も30過ぎたころから既にこの方向性で自分の目指す武道のベクトルを合わせていたのだと思う。これが、目指す新格闘技の在り方なのだ。

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《自然の中で戦う武道”太気拳”》

S先生がこの太気拳に影響を受けまた、澤井健一先生の生きざまに共感したから、自ら目指す、剛の武道の最終形を「太気拳」に求めたのだ。

S先生は当時この「太気拳」の他流試合のビデを入手していて見せてくれた。

相手は極真空手のようであった。澤井先生の弟子との対戦であるが、太気拳が公園や、庭等自然の中で修業をする為、野外での対戦であった。

極真の直線的な動きに対して太気拳は本当に柔らかな動きで、間合いを見切る事でダメージを受けない、それでいて、攻撃に転じる時は一気に踏み込み手のひら(掌打)で畳み込む。

極真は顔面の攻撃が無いため、無防備だった。一進一退で、個人の力量にどの程度差があったのか明確には判らなかったが、自分のペースで戦ったのは大気拳であることは間違いなかった。ある意味”強さ”を感じた。

この武道は一つの終局形だと実感した。