ミルコの趣味雑談

趣味を持つ事は大事です。始め方や、道具を揃えることなど雑談です。

格闘技と武道と趣味vol10~転勤と新たな出発~

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《順調な新格闘技とサラリーマンの転機》

新格闘技をS先生と立上げ、N先生グループ道場にも指導に行くなどしながら、テコンドーの大会開催など、少林寺拳法から離れ、3年程は武道人生も大きく変わり新たな活動真っ只中だった。まだ自分の子供も小さく、いずれ子供にもこの武道を伝えて行くのは楽しみだった。

そんな折、サラリーマンには付き物の転勤話が出てきた。

同じ支店に3年も居れば、何時でも転勤者候補と言われていたので、10年も福岡にいたので、まあ致し方ない時期であった。

勤務地は東京品川の本社であった。住居は神奈川県平塚だったから、東海道線京急乗り継ぎで1時間半位掛った。通勤で2時間が普通だったから、人並みだろう。ただ、平塚からは始発がでるので、品川まで座って行けたので、比較的楽であった。

《生活スタイルの変化》

仕事は企画部と言う事で内勤である。ルート営業から内勤と言う事で、転職並みに生活スタイルが変わった。朝も早く、夜も遅く帰宅なので、まとまった自分の時間を作れるのは土日の休み位である。いままで、週に3~4日体を動かし、道場で汗をかいたり、打ち合わせをしたりと武道に費やす時間が大きかったが、そこの部分がポッコリ抜けて、仕事に関わる時間が多くなった割には、気持ち的には家族との時間や、自分の時間ができたのは不思議なものだった。

ただ、赴任して3か月もすると仕事も落ち着き、盆と正月は福岡に戻り、道場に顔を出していたので、S先生や兄弟弟子とのつながりは継続していた。

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《武道練習道場が必要》

久々に道場に戻って汗をかくととても気持ちも良いし、動きも悪くなかった。今まで通りの感覚がフラッシュバックする。そんな帰省の折に、勢い自由組手(手合い)をすることになり、俗にいう60人と対する連続組手となった。20人位が順番に、2分毎に続けて手合いをし、時間にして2時間弱のハード組手だった。

よく100人組手と言うが、さすがに2時間だけでもふらふらになる。しかし、連続していると、相手が10人を超える頃には呼吸も落ち着き、動きも無駄が減り、消耗戦的な戦いから、一撃で制する動きになってくる。

この様な練習は在福時代にもあまりしなかったが、こうしてたまに会えるからこそ、相手になる門下生も消耗戦に付き合ってくれたのだろう。ある兄弟弟子は肋骨が肉離れになったと後で言われ、謝ったことを覚えている。

支部道場を開く準備》

平塚に戻り、やはり練習の基盤を作るには道場を開くしかなかった。しかし、まったく無名な格闘技で、知人もいない事からつてを辿る事も出来ず、まずは休みの日に近くの公民館や小学校体育館が使えるか等調べる事にした。関東は結構公民館が多く、あまり遠くないところに丁度良い広さの公民館があった。

自分の子供が幼稚園の年長で小学校に行くタイミングでもあり、子供の友達を勧誘してスタートすることとした。また、そもそも横浜の大学なので、大学の部活にOBとして見学に行ってみる事とした。

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《大学部活への緊急避難》

大学の少林寺拳法部では13年程離れていたので、当然現役の部員とは見識も無かったが、私が在籍時代から、大学指導に平塚道院から派遣されていたH先生が、今も来ていると聞き、懐かしさもあったが、土曜の練習しか見に行けず、会えなかった。最初からただ見学の目的と言うより、体も動かしたかったし、現役の大学生の力量も知りたかったので、練習に参加した。

少林寺拳法に籍はまだあったが、敢えて新格闘技の道着で参加した。多少違和感はあったものの、その間の経緯なども説明しながら、少林寺拳法に無い、新格闘技の良さと強さをPRした。一部の部員は賛同し、直ぐに順応してきた。

数度訪問する内に、私よりも10歳年下のOBのKW君と練習で一緒になった。彼は大手素材メーカーで営業として、東京に勤務しており、体を動かしたくて月に1~2度来ているとの事だった。すぐにKW君とは意気投合し、彼も新格闘技を一緒にしたいと言う事になった。

まだ道場を開く前で、横浜よりかなり遠方になる平塚では、なかなか通う事も難しいので、大学道場を練習の場にする事とした。

大学道場は、そのころ既に在学中にあった武道場は取り壊されていて、トレーニングセンターとプール、シャワールームなどを完備した近代的な練習スペースで、とても快適だった。拳法部部員も従順で、平塚のマンションに呼んだりして、良い関係が続いた。

大学少林寺拳法部で格闘技に目覚めたOBや学生に教える事も内容の濃い練習になった。

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そんな折、道院から派遣されているH先生から連絡があり、会って話をしたいと言う事で、土曜の練習日に合わせてキャンパス内の喫茶店で会う事となった。

こちらは一緒に練習していた。KW君と相手はH先生ともう一人拳法部OBと称する見たこと無い者が同席した。

用件は、学部内の少林寺拳法部内で、少林寺拳法と異なる格闘技を教えている事との通報があり、本部で問題になっている為、指導を任せられているH先生が困っていると言う事だった。

どうも同席しているOBが、卒業後、県内の道院に通っていて、拳法部に遊びに来た際に聞いた話がリークされたようだった。

そのOBはH先生を差し置いて、拳法部を荒らす不届き者としてまくし立てた。鬼の首を取った様に、H先生にも責任があると言う様な事も言い出した。

意外な展開であり、KW君が不機嫌になっているのが判ったが、目でたしなめて、まずはH先生の長年のご苦労を労った。現在の少林寺拳法の変化と、高弟に対する破門劇などを説明し、一番頑張った門下生が切り捨てられう事の理不尽を伝えた。

H先生も同感であったが、先生はそれでも弟子の手前もあり自分なりに大事にしている武道を伝えていると言うことだった。( 平塚道院の道院長も本部から疑惑を掛けられ、破門になりそうになったそうだ)

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拳法部の伝統は外の道院とは別にクラブ活動として学生が修練を重ねる場である。

少林寺拳法は5段の段位を持っている自分からすると、そこをわきまえて、道着も変えて、他武道として明示したうえで、一緒に3年生相手に手合いをしてその違いを伝えていたのだ。こう言った気遣いと精神にのっとり部活の練習に参加していたと説明した。

そのOBは段位でも格下だったし、年もかなり下であったにも拘わらず、部活と少林寺拳法を代表するかの様な態度は高慢で抑圧的だった。

武道ではたとえ年下でも自分より高段者のもの、あるいは先輩、年長者に対しては一定の礼節を以て接するのが道と教える。

それに対して、このOBの態度は明らかに非礼であった為、一喝すると、押し黙ったまま何も言わなかった。話の”落としどころ”を付けるべく、提案したのは、先生に迷惑をかけるのは本意ではないので、今後の拳法部との付き合い方は気を付け一定の距離を置き、後輩との乱取り練習は控える事とし決着をみた。そして、その場は散会となった。

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KW君とは拳法部から離れる事を伝えたが、最後に拳法部の主将と副将を呼び真意を尋ねた。はっきりとした意思を示さなかったので、意思がないなと言う事が判った。そう言う意味では、意思のない者に教えても、曲解されるだけなのだと悟り、拳法部から離れる事を決めた。

後日談になるが、3年後に、少林寺拳法部員が1年、2年生で集まらず、残る部員も女子だけになり、継続できないと言うとこで、廃部するとの通知と詫び状が届いた。

この時の幹部が卒業した翌年の事であった。KW君からも、自分たちが居なくなった少林寺拳法武に男子部員も減り、女子色が強く、活動も鈍くなっていったとのことであった。

部活の運営は代替わりして行くので、その時々で継続の危機があるのは事実だが、それを支えるのが、OBであり、指導者であったはずだが、それらを拒絶した時点で、しょうがない末路と思う。30年以上の歴史のある部活であったので残念である。もうOB会と称して集まることも無いと思うと寂しい限りである。