ミルコの趣味雑談

趣味を持つ事は大事です。始め方や、道具を揃えることなど雑談です。

格闘技と武道と趣味vol14~仕事とプライベートのバランス~

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今まで綴って来た足跡はある意味、その時々で岐路に立ち、流れに任せながらも与えられたものや、その立場で出来る事を精一杯やってきた結果事を繋ぎ合わせて振り返ってきた。それには仕事や学業とプライベートの両面あり、常にそのバランスを取ってきた。

バランスと言っても、いつも五分五分と言う訳ではない。仕事や学業は他律的要素が強いので、常にロイヤリティは高くなる。何せ生きるための糧や評価を得る事がまずは最優先だからだ。

しかし、常に全力当投球と言うのは私自身の性分に合わない。忙中閑ありで、必ずプライベートを疎かにはしなかった。それは家族のイベントや世話も重視したが、仕事の次のプライムは武道であった。敢えて言えば仕事の優先スケジュールと武道のイベントや道場通いのバランスをできるだけ仕事を圧縮する形でプライベートを重視し優先した。なので会社の同僚とのアフターファイブの付き合はかなり疎かだった。その為、そう言う意味での評判は良くなかったが、継続は”力”であり、これが標準となると、そう言う見方が理解に変わり、上司の中には仕事に滞りが無く、目標が達成されている限り評価してくれる方も少なくなかった。

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仕事は好きな事と言うよりやり甲斐であったが、武道は好きでしている事なので、全く苦にはならなかった。双方がポジティブに進行している時はかなり充実していたし、寝る間を減らすとか、移動時間を惜しんで業務処理をこなす事は苦痛でも苦労でも無かった。

しかし、誰も1日24時間以上は無い訳で、そのような生活をしていた為、同年代人が楽しむゲームや遊び、娯楽や息抜きや楽しみと言うものとは甘い縁が無かった。例えば、パチンコ、麻雀、当時爆発的に流行り始めたインベーダーゲームやゲーム機等とは全く縁が無かった。することが無いから飲みに行くことも無く、目的の無い遊びはしなかった。

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仕事も武道も集中してやっていたが、面白いもので、そんな中でも興味の向く事には時間を割いた、武道以外の趣味の部分であるが、詳しくは別なときに述べたい。

私の中では一つの技や、技量を身に付けるにはそれ相当の時間と投資、努力が必要であることは必須だと思っている。私の様に不器用な者には当然だった。体や表現が想像通りに出来る様な天才は、そうでない鈍才の私にとってヒガミでは無いが、つまらないと思っている。

出来てしまうのは羨ましいが、出来るまでの達成感を味わえないのは満足感として物足りないと思うのだ。よって、出来ない事で苦労するのは苦にならない。直ぐにできない事は判っているので、到達点はかなり先に設定する。

例えば、30歳になった頃、昔から絵は好きだし、下手な方では無かったが、油絵は鑑賞するだけで、描いたことが無かった。しかし、海外教育TVシリーズで見た「ボブの絵画教室」に触発されて、油絵を始めた。

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32歳の頃に職場の同僚の義兄が福岡で創作窯を開いていると知り、帰省の際に、尋ねて行って、無理やり教えて貰い陶芸を始めた。いずれも10年後に自分なりに納得できるものが出来れば良いと思い始めた。30歳の時に長男が生まれた際にのめりこんだクラシックへの興味は、東京でN響コンサートに通う事で満たされ、一生の趣味になった。

今ではレザークラフト、トンボ玉、ピアノ、ギターと興味の対象はかなり広がった。この間4回の転職を経験し、それぞれの職場で、スキルを活かして管理職としてマネージメントや責任者としての責務を拘りを以てこなして来た事を考えると、まあ紆余曲折しながらも自分で大事にしたい事は何としても貫き通して来たと言えるだろう。

スキルとリテラシーを高める事が色んな局面を打破する源だったような気がする。これは仕事もプライベートの趣味や武道も同じであると感じる。だから似たような問題や壁にぶつかった人には、とにかく、あきらめるのでは無く、ポジティブシンキングと、たゆまざるスキルアップで何とか乗り切れるものだとお伝えしたい。

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平凡な私のこの経験は私ならではだと思うが、本当に良かったのか、幸せなことなのかは全くわからない。人は周りから評価されて初めてその価値や、善し悪しを判断することが往々にしてあると思う。

短いタスクや、業務においてはその通り出来るが、長い人生においては、その長い人生の中での良かったことや悪かったこと、成功したこと失敗したことなど、数えきれないほどある訳で、死んだ後でも誰も評価は出来ないと思っている。

強いて言えば、死ぬ間際に、人生をフラッシュバックする時、初めて自身で感じる事かと思う。しかし、その死の間際で善し悪しを自身で下す事はないだろうと思う。全てを良しとして、全てを諦め観念して死を迎えるのだと思う。

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