ミルコの趣味雑談

趣味を持つ事は大事です。始め方や、道具を揃えることなど雑談です。

格闘技と武道と趣味vol3~続いた学生時代~

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日本伝正統少林寺拳法本山

中学校時代での少林寺拳法は半年程の通ったところで、受験時期になり、中断した。高校受験では、市内の進学校に入学し、通っていた道場も遠くなく、道場通いが再開した。高校の部活動も誘われるままにサッカー部に入部した。

当時の清水のサッカーは全国レベルで、しかも県内でも有数の監だったことから、三か月程度で、自分の実力ではレギュラーにも成れないし、中途半端な練習で終わるものでもないと判り、友人と共に辞めた。

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町道場風景

その友達に誘われるまま、ハンドボール部に転部した。初めて経験する競技だったが、楽ではなかったし、丁度手で握れる限界のボールを野球の様に思いっきり投げる事の難しさを経験できた。奴隷の一年生の下積みは、町道場の少林寺拳法では既に初段を取っており、指導もしていた感覚からすると、面白いものでは無かった。

また、OBを自称するオッサンが四六時中練習に来ては鬱陶しい指導に来る事が嫌で、一年生の大半がこれを理由で辞めた。もう一年生の後半になっていたので、大学受験を考えると放課後を自由に使えるのは1年弱になっていた。

クラブ活動も文化系に移り、一つの部室に、写真部と新聞部が同居していた為、写真に興味を持ち、両方の部に籍を置くことになった。当時は当然フィルムカメラで、暗室に籠って白黒現像をしていた。文化系になると途端に女性部員の比率が半分以上になり、ちょっと面倒ではあったが、ちょっと違う世界観を味わえた。

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文化祭

写真部隣の映画部では16㎜フィルムを使って自主映画を作成し、文化祭で上映していたが、同じ映像と言う事で何かと共同作業を行ったりした。映画部その時のお題が「007」を真似たスパイものの作品だった。まあ、稚拙な演出と、お約束のストーリーで、別段文化の匂いもしないが、主人公の恋人役の女生徒から、敵役として武道をしていて"さま”になると言う事で、友情出演する事になった。相手が素人では、立ち回りもグダグダになり、自分では最悪だったが、上映では評判が良かったようだ。格闘技では、例えば人を殴るにしても、拳の握り方一つで素人かどうかすぐわかるし、足の運びでどの程度の実力か判る。練習以外で、武道を考える良い経験だった。

 大学は横浜と高崎の大学を受験した。当時は大学が個別に試験を行い、国立は一期二期校が別れていたし、私立の試験はバラバラだった。翌年から各大学の競争率を適正化しようとする「共通一次」試験が実施しされるので、国公立を志願する者は、主要教科を満遍なく勉強する必要があり、学習方法もオールマイティ方式になっていた。理数系がイマイチだった為、なんとしても一発合格を目指した。高校受験どころでは無い為、少林寺拳法も一旦卒業となった。国立一期校と二期校の受験日がずれていた為、国立一期を横浜の公立大学、二期校は静岡大学を受験する事とした。その前に、私立を1校、高崎の大学を1校腕慣らしで受験する事にしたが、受験料も当時五千円から1万円で、仮に受かれば、入学したければ、期日までに数十万の入学金を収めなければならなかった。まずは受からなければ保険にもならないが、横浜は革新市長だったこともあり、入学費用、授業料とも全国で一番安かった。実力からご確率は五分五分と指導教員から言われていた。人生の岐路に立つ勝負だった。

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結局偏差値が横浜より低い大学が引っかからず、私立は合格したものの行く気はなかった。横浜の次には静岡だったので、まだ静岡があるとの気持ちで横浜を受験したが、不思議と手応えがあり、結局合格し、静岡はパスした。結果から見ると、費用的には最小限で済ませる事ができた。横浜は下宿はしなくてはならないが、授業料が、当時年3万6千円と超格安だったので、育英会奨学金と僅かな仕送りプラスバイトで、払う事も出来たし、下宿代・生活費も賄う事ができた。

大学はコジンマリとしており、同じ駅で降りる関東学院大学の学生と10分の1位の学生数だった。学費が安いだけあって施設も結構古かった。

そこで新し生活をスタートしたが、入学式の日に、入り口の部活動勧誘の最初に見えたのが少林寺拳法部だった。「大学にもあるんだ~」と思い、物珍し気に見ていると、すぐに誘われた。すでにもう一人勧誘されている者がいたが、高校の少林寺拳法部にいたと言う事で、話が弾んでいた。

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サークル勧誘

まあ、部活も良いが、まずはバイト探しと一人ぐらいで頭が一杯だったが、先輩に聞くのが一番と、その少林寺拳法部の勧誘している先輩に声を掛けると、気さくにもいろいろと教えてくれた。少林寺の話になると、求めるのは強さであり、関東国公立大会でも東大に一ツ橋に次いで三番手だと聞き、とても興味を感じ、初日で入部が決まった。入ってみると先に声を掛けられ話をしていた彼(K君)と、栃木出身者と私の三名が入部を決めていた。K君はとはその後、主将を、私が副主将を務めることになり、同学年に部員は5名、4年まで合わせて20名弱の所帯であった。

こうして考えると中学校から大学まで、同じスポーツを先輩から勧められたとか、親の要望とか色々理由で続けると言うはよくある話ではあるが、私の場合、時々に、なんと無くその都度どうすべきかを選択し、無理もせず、半分自然な流れで続けることになった。

これは振り返れば偶然の必然なんだったとしか思えない。その中で出会えた人で今でも付き合いがあるのは大学の時のK君ぐらいで、その他の人とは自然と縁が切れていった。ただ、数々の出会いは再開もある訳で、今後のご縁があればまたお会いしたいものだ。