ミルコの趣味雑談

趣味を持つ事は大事です。始め方や、道具を揃えることなど雑談です。

格闘技と武道と趣味vol4~青春時代~

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《大学生活は部活とバイトが中心》

大学生活はサークル・部活動をしているとどうしても、部活動が中心になってしまう。授業が優先だろうと言うのは学部によって当然であるが、商学部経済学科と言う文化系当時は、今どきのIT活用やMBA(経営学修士:Master of Business Administration)を目指すと言う流行りも無く。予備知識も無く、目標を定めにくい講義内容であったりして、単位を取る為の履修科目の選択だった。つまり、熱が入るものでは無かったので、中心が部活動とバイトになるのは致し方無かった。

少林寺拳法は格闘技でもやっていける》

少林寺拳法の魅力は強さを求めるものでは無いと伝えたが、逆に、強くない武道は本当に格闘技か、どこまでやっても他の格闘技には勝てないのか?と言う素朴な疑問がは常にあり、部活先輩にも同じジレンマがあったようで、日々の練習は勝てる技と負けないディフェンスを追求する鍛錬だった。

そういう練習だから、結構ハードだったが、少林寺拳法独特の思想的な教育はそこそこに、技の研鑽と年一回の関東国公立大会に向けての練習の日々で、この大会では、「演武」(個人と団体)と「乱取」(個人)の競技だった。

ある先輩はキックボクシングのジムにも通い、ある先輩は極真空手に出稽古にも出かけた。そこで、少林寺拳法にない動きや、技を習得すると、積極的に後輩に教え、お互いに実際にどの程度使えるかを道場の練習で試したりもした。

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格闘技ジム

《格闘技なら強くなければならない》

「強くなる」とはどう言う事か、この問いはとてもシンプルだが、非常に難し。

格闘技で言うところの強さは、相手を制することである。但し、ルールにより、防御、攻撃方法は全く変わる。総合格闘技と言うカテゴリーは昨今創出されたものであるが、アメリカで生まれたUFC(Ultimate Fighting Championship)はある意味究極のカタチであろう。アメリカ人らしいなんでもあり、残虐ショーギリギリのところだ。しかし、何でもありとなると、戦いは原始的に身体能力の高さ、打たれ強さ、巨漢の要素が高い者が強いに決まっている。

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UFCオクタゴンリング

極真では寸止め空手は真の打撃では無いとして、顔面以外の打撃、急所攻撃を除きほぼノールールの体重制いわゆるフルコンタクト空手を主張して、今やNO1の競技人口を誇る空手となった。しかし、これも顔面攻撃無し自体に穴がある。

《科学的に進化する格闘技》

現在の総合格闘技では、かなりの科学的分析がなされていて、それぞれのファイティングスタイルを打撃系(ストライカー)と寝技系(グラップラー)に分けたうえで、相手との間合い(距離)をそれぞれ有利な距離に保つ事で適切な攻撃と防御をする様に組み立ている。まさに総合的にトレーニングし技術を磨くのである。

《強さはルールで決まる》

勝敗はどこまで許すのかがポイントであるが、結局ルールによって、戦い方が全く変わって来る。よって、どの格闘技が一番強いか等と言うのは愚問である事が判る。私見であるがルール無しで戦えば、一番強いのは相撲だと思う。良く相撲取りがプロレスに転身しても大成しないと言うが(日本プロレスの祖力道山は相撲出身であるが、力道山はプロレスラーになった時点で相撲を捨てていた)、相手に与えるダメージは打撃の強さは物理の法則上質量とスピードであるし、数倍の重量で抑えられたら身動きできない。

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相撲

だからと言って、相撲取りになりたいと思ったことは無い。

《極めた格闘技は美しい》

磨き抜かれた格闘技の動きには美しさがあります。太極拳の流れる様な所作には老若男女問わず、習得できる動きであり、格闘技の一つの昇華したものの一つだと思う。鍛えるべき動き、重心移動、バランス等、競技するものを魅了する。

話は脱線したが、大学時代の少林寺拳法の修行は結局どうだったかと言うと、決して格闘技として極真などに劣るものでは無いと言う信念から、様々な格闘技から良いところや動きを取り入れて、それを少林寺拳法に取り込もうとしたのだ。

《不完全燃焼の少林寺拳法

しかし、少林寺拳法でそれを試す場は、「乱取り」と言う空手で言うところの自由組手となる。これがちょっと頂けない代物なのだ。怪我を防ぐため、フルフェイス面と拳サポーターに剣道の胴と脛にもサポータと言うフル防御状態で、ジャッジが間に立つが、決まりては「当て止めの上段突き」や、胴への「当たりの良い蹴り」とかになるのだ。つまり、審判次第でどうとでもジャッジが出来てしまうし、これだけ防御していると、効いているかどうかも判らない。効かない突きや蹴りが有効なのか?しかもとても打撃としては効果的な肘による攻撃やローキック等も反則となる。こんな競技でも、当時は勝つために、研究して勝てる練習をしたものだ。しかし、フレストレーションは溜まる。こんな練習していて本当の格闘技なのか?この疑問は徐々に蓄積された。

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少林寺拳法乱取り

それでも大学では、引退する四年生になっても部活に通い練習した。年に一度、本山合宿として四国の多度津に行っていたが、四年の春合宿で四段まで取得して区切りとした。

《就職しても少林寺拳法から離れられない残尿感》

就職して、最初の赴任地は札幌だった。最初から縁もゆかりもないところとになるとは驚いたが、行ってみると札幌は悪い印象も無く、むしろ人の温かみをとても感じ、なかなか住みやすいところだった。営業配属で、道央、道東地区を担当し、網走・旭川などが担当エリアだった。営業車で移動する中、少林寺拳法の看板を見かけるにつけて、こんなところにも道場があるんだと感心したものだ。

早速住宅近隣で道場を探すと、白石区内に白石道院と言うところがあり、赴任した夏から通い始めたが、大人も少なく、フルコンタクトを大学で磨いてきただけに、通う意欲が無くなった。

年末に突然転勤辞令が出て、今度は九州福岡に赴任することとなった。短い間で、まだ社会人営業としては半人前だったが、そこで武道・格闘技人生の大きな転機となる道場と出会う事になった。

《本物は西から来る》

九州だからと言う事ではないが、札幌は東京から離れていて、島国で色んな部分で距離感を感じた。しかし、福岡は東京から北海道並みに離れているが、その間に広島、大阪、名古屋と大きな都市圏があり、歴史も関東地区より古い。

その為か、武道に関しても少林寺拳法の亜種である「少林拳」の本部があったり、古武道があったりと、とても刺激的だった。

そこで、また少林寺拳法の道院を探すと幾つかあり、住居とした大濠公園近くマンションから車で20分くらいのところに行ってみた。道院長は背は大きくないが、眼光の鋭い小太りな方だったが、少林寺拳法を極める為、脱サラして、自費で道場を建てたというから、ホンマモンだった。

そんな人がどうして少林寺なんだろうと疑問を感じたが、技量的には今まで接してきた指導者の中ではNO1の実力だった。大学でキックボクシングや空手の動きを吸収してきて、フルコンタクト系には自信があったが、まったく歯が立たなかった。フルコンどころか、”乱取り”形式でやっても一撃で撃沈である。一つ一つの打撃の正確性や、回転技のキレ味は、次元が違う気がした。

当然、迷うことなく通う事となり、仕事上営業は定時で帰宅は難しいが、道場の練習を最優先した。週2回、年少の子供の練習が7時に始まり、一般人の練習は8時からだったが、会社を7時に出て、大急ぎで8時半に道場に着き12時近くまで練習する生活が10年近く続いた。とても充実していた。その間結婚もし、子供もできたが、生活のベースに道場があった。